秘宝館の娘
テーマ:お父さんシリーズ
2017-07-04 12:14:10
私は 「秘宝館の娘 」である。
実家が突然、秘宝館になったのだ。
きっかけは父のガンからの生還。
彼は生から性へのさらなる飛躍をしたのである。
それは突然に訪れた。
日に日に家の中に、いわゆる「開かずの間」が増えていったのだ。
「なぜ応接間が立ち入り禁止?」と父に聞いてもニヤニヤとしているだけで決してそのワケを答えようとしない。
母においては、その話題に触れてはいけないという殺気をビンビンに放っている。
…ということはある程度の予測はつく。
よからぬことに違いない。
開かずの間は応接間から続く廊下、二階へと徐々に広がっていった。
当然、私はこっそりと覗きにいった。
どうせまたくだらぬ骨董品がごっそり増えているのだろうと軽く考えていたからだ。
開かずの間に続くまともな世界の扉には、ご丁寧に赤いフンドシが暖簾のように掛かっていた。
「ここからが立ち入り禁止ですよ」という父なりのお知らせである。
父はもう何年も前から骨董品に心を奪われていたため、こそこそと何かを集めている気配は日常茶飯事。友人に手配し、何か画策しているのも知っていた。
大型の布や箱に梱包された荷物がちょくちょく搬入されていることにも気がついていた。
骨董品といってもほぼガラクタである。
古いラムネの瓶を「この価値は10万だ」と汚い新聞紙に包まれて渡されたこともあったが、おそらく10円の価値がつくとも思えない。有料ゴミの可能性さえ否めない。
何度か一緒にそういう類の店にいったが、店なのかゴミ屋敷なのか私にはよくわからなかった。そんな店で買い付けてきたものに価値があるとは到底思えない。
そんな過去がある父の開かずの間へのフンドシをくぐり、扉を開けた瞬間、私は凍りついた。
「なにこれ…」
まさかの…である。
ちょんまげ頭がナニをしている…。
坊主がナニしてナニをしている…。
日本髪の女性がナニをナニナニ…。
あんな格好でっ!こんな格好でっ?!
目合い(まぐわい)ではないか…。
漢字で書くとなんてことはないが『まぐわい』と書くと途端に淫靡な匂いがする。
春画の数々が、廊下の壁一面を覆い尽くし、変な鼻のついた天狗が何人もいる。
祀られた地蔵にまでナニがついている。バチが当たるのも時間の問題であろう。
なんとか正気を保ちつつ廊下を通り抜け、応接間の扉を開けさらに驚いた。
ショーケースが所狭しと並べられている。中身は世界あちこちから集めたであろうアレやコレ。
壁に飾られたどこのどいつのモノかわからぬ魚拓ならぬチン拓。
もともとはドレープの美しいカバーが掛かったピアノが置いてある私の一番大好きな部屋だった…はずだ。
子犬のワルツが頭の中で虚しく流れる。
「も…もしや…これが世にいう秘宝館というやつだろうか」
私は秘宝館に行った経験はない。
いつか温泉地などに立ち寄った折に社会見学として行くこともあろうかと少し期待したりしていた。
しかし、いよいよ本当に行く必要がなくなってしまったのである。
その後、あれよあれよという間に秘宝と言えるか言えないかのブツの占める割合はどんどん広がっていった。
家の三分の一、いやもしかしたら二分の一は完全に十八歳以下出入り禁止となってしまったのだ。
本当にある日突然、誰にも言えぬ、言ってもわかってもらえぬ悩みを抱える秘宝館の娘になってしまった。
しかも、父のコレクションは家の中だけではとどまらなかった。
庭先に背丈ほどのご神木のようなナニがクレーンで運ばれてきたときには、この世の終わりを見た気がした。
当時、近所のおじさんやおばさんは大喜びし、キャーキャーと騒いでよく覗きに来ていたが、私はニヤニヤと館長として案内をかって出る父のその行動が、ただただ恥ずかしかった。
観光バスがやってきて、手もみをしながら出迎える父を見たときには、もう後戻りできないことが人生にはあると知った。
「ついにいくとこまでいきやがった…」としか言いようがなかった。
(庭に置かれている将来の父の墓石)
ところが、慣れというのはやってくる。
性のことなどもともとオープンに話す家ではなかったと記憶するのだが、次第に家族で秘宝館の今後のことを話題にしはじめたりする。
父に頼まれれば、レイアウトを手伝ったりすることもあった。
あれほど殺気立っていた母でさえも、
「いつかもとを取る」
と次期館長を名乗り出たほどだ。(このせいでひそかに次期館長を狙っていた私は副館長の座に転落する)
この数年間、父は何度も入退院を繰り返した。
その合間あいまに、生きがいのように秘宝館を作り上げていたのだった。
私は随分と長い間、父の数々の行いに、なんて恥ずかしい親なのだと軽蔑さえしていたが、最近になって、案外どこにでもいる父なのかもしれないと思えるようになってきた。
もしかしたら家が秘宝館で悩んでいる娘はこの世の中にたくさんいるのではないだろうか。
そうなればどこかで秘宝館の娘の会が発足しているかもしれないという希望もみえる。
私が年をとった分、父と母も年をとった。
元気で笑っていればそれでいい。
父は初出場の演歌歌手の苦労話を一生懸命に教えてくれる。
前に会った時より元気になっていたけれど、その背中は、昔より随分と小さくなった気がした。
ニヤニヤと笑った顔のまま小さくなっていく父は、どこかエロく、どこか切ない。
ちなみに、秘宝館は18歳以下入場お断りの完全予約制です。
アメブロより再掲
20170704
父、暴走。恐怖の回転ずし
テーマ:お父さんシリーズ
父は食べるのが大好きである。
昔から、色んな食べ物屋さんに連れていってくれた。
しかしそのどこもが、 恐ろしく汚いが美味しいというホルモン屋さんだったり、カエル専門料理の店であったり、帰りに無理心中するんじゃないかと心配するくらい敷居の高い店であったりと、とても子ども連れで気軽に入れる店ではなかったりした。
だから、私は「家族でファミリーレストランに行く」というのがその当時の小さな夢だった。
昔はお鮨屋さんも回転していなかった。瀬戸内の小さな町だったので、お鮨は回転しなくてもよかったのだと思う。
しかし、時流のせいもあって小さな町にも続々と廻るお鮨屋は増え続けた。
私が大人になって実家に帰省する頃にはあちらこちらに回るお鮨屋があった。
大人になって、私が初めて父と一緒に回転鮨に行ったときのことである。
大型連休で兄家族や妹も集まっていた。
人数が多かったため、ふた手に分かれて席についた。兄と兄嫁、父と私が同じ席だったように思う。
母は妹たちや姪っ子たちと別の席に座っていた。
賑やかに食事が始まったとたん、ある事に気がついた。
父がお鮨を食べている。
が、皿がない…。
私はハッとした。兄と兄嫁もハッとした。
父の後方に流れていく、空の皿。
「あっ!お鮨だけ取ってる?!」
なんてことをするんだ、このオヤジ!
私は急いで皿を追っかけた。恥ずかしいったらありゃしない。
父の食べたであろう皿をゲットして席につき、
「お父さん!お皿ごと取ってよ!食い逃げするつもり?!」
と、私は父を叱った。が、父は、無意識なのかとぼけたフリなのか、
「あ、そっか」
と、ニヤニヤ笑っただけだった。
最初は兄と兄嫁も、困ったもんだと笑っていた。
しかし、注意した矢先に父は二回それを繰り返した。
システムを知らなかったのか…( ̄▽ ̄||)
父がお鮨を食べるたびに皿を追っかけ父にしつこく教え込む私。
おまけに、プリンを取って、やっぱりやめたと返そうとする。
「こらっ!一回取ったもの返したらいけない!」
「あ、そっか」
恥ずかしかった。この上もなく恥ずかしかった。
帰りに母に聞いた。
私「お父さん、回転鮨は初めて?」
母「ううん。最近よく行くよ」
私「……上だけ取るんだけど」
母「いっつもよ」
私「……( ̄ー ̄) 」
やっぱり確信犯だったのか…?!
母が父と同席をしなかったわけがよくわかった。
未だに、どこまで本気で生きているのかよくわからない。
そういえば、食べ物で思い出した。
父が食べかけのソフトクリームを母にあげると渡したが、
「それだけは絶対にイヤっ!!」
と、母は言い張った。
「相手の食べたソフトクリームを食べられるか食べられないかが愛のモノサシ」であると我が家では語り継がれている。
父、激走。女と耳について語る
テーマ:お父さんシリーズ
うちの父にタブーという言葉はない。
大晦日の昼間だった。
慌ただしく妹と一緒に、母のお節料理づくりを手伝っていた時である。
成人した女が三人寄ってワイワイと料理をしている横で、様子を覗きにきた父が、突然、妹に言った。
「ちょっと耳を見せてみぃ」
妹は何のことかわからず耳を見せた。
父は
「ありゃっ!これは、男が離れられんわぃ」
と言った。
続いて私にも耳を見せろという。
父は、私の耳を見て、
「ありゃ!お前もか…っ!」
と、言った。
何を確かめているのかわからなかったが、絶対にロクなことを考えてないというのは私も妹も察知していた。もちろん里芋を茹でる母も手に取るようにわかっていたであろう。
誰も深く突っ込まなかった。
そのまま聞き流してやろうと思ったのだ。
しかし、聞かれもしないのに、
父は言った。
「耳の上のとこがクルンと巻いている女は締まりがいい。二人とも巻いとる…」
妹と私はあまりにもバカらしい話に
「はあ?????」
父は嬉しそうに「うっしっしっしっし」と笑った。
耳の上部など大抵の人がクルンとなっているのではないかと妹が鼻で笑った。
そう、鼻が大きい、指がどうのという話とたいして変わらない都市伝説的な話。
しかし、よりによって、年末に、それも娘たちにいうことかと私たち姉妹は呆れかえった。
そして、いつものごとく、
母が、
「娘にバカなこと言わんのっ!」
と。
その年最後の雷が落ちた。
わりと大きめだった。
落雷により撃沈した父は、ダイニングテーブルに戻り、ひとり座って呟いた。
「お母さんの耳も、巻いとるよ」と。
妹と私は思わず母の耳を見た。
立派な…遺伝である。
父、泥酔。母に規制線を張られる
テーマ:お父さんシリーズ
父は酒と煙草と人間をこよなく愛する男である。
しかし、愛しすぎて失敗することが多々あるわけで…。
ある朝のこと、父の部屋の入り口付近に、ビニールの荷物ヒモが張りめぐらされていた。
刑事ドラマなどで「Keep out」と書かれているようなテープである。
げげげ?!
何が起こったんだろうと覗きこんでみたものの、部屋の中は別段変わった様子はない。
ダイニングへ行くと、父はいつものようにニヤニヤとテーブルに座って貧乏ゆすりをしていた。
母は…父に背を向け台所で黙って朝食を作っていた。
何がやらかしたな…と思った。
昨晩酔っ払って帰ってきた父。
きっとリバースしたに違いない。
しかし、一応、母にコッソリ聞いてみた。
「あの、立ち入り禁止みたいなテープどうしたん?」
「入ったらダメよっ‼︎‼︎」
と、母は語気を強めて言った。
「吐いた…ん?」
と、念のため聞いてみた。
母は黙り、父はニヤニヤと笑っていた。
違う…何か違う気がした。
母がお味噌汁を作りながら言った。
「テレビを壊したんよ」
「え?」
「トイレと間違えてテレビにおしっこしたんよ」
「……」
父は相変わらずニヤニヤと笑っていた。
酔っ払って寝ていた父は、尿意で目を覚まし、何をどう思ったのか、テレビのスイッチを入れておしっこをしたのだという。
母が気がつき、あわてて飛び起き、
「止めてよっ‼︎」
と言ったが、一旦放たれた尿道の蓋は閉まらなかったらしい。
ご存知だと思うが、お酒を飲んだ時の尿というのは中々の量であったりするわけだ。
母は手で押さえるわけにもいかず、タオルで押さえるがそんなものは役にも立たず、慌てて洗面器を持って走ったが、間に合わず…。
結局、千鳥足でフラフラとしながら父のホースは大暴れ。
膀胱が空になるまで父の放水は続いたというのである。
そりゃ、母の機嫌は悪いはずである。
しかし当の本人、父は、
「わし、覚えとらん」
と、トボけたことをいうではないか。
そう、我が家ではやったもん勝ち。
トボけたもん勝ちなのである。
知らないと言ったらそれですまされる。
母にしこたま叱られるが…。
結局、母は夜中にひとりで片付けをし、立ち入り禁止のテープをせっせと張り巡らせたらしい。
妻の鑑である。
そのときから、刑事ドラマのあの立ち入り禁止のテープを見ると父の悪行が頭によぎるようになってしまった。
シモの話で思い出したが、私が小学校のころ、
「浜千鳥」という海の家兼カラオケ屋に行ったとき、父が隣に座る祖父のことを、
「うちの親父の下半身はまだまだ現役だっ!!!」
とその場でみんなに公表し、祖父に後頭部を殴られていたことがやけに記憶に残っている。
40才も過ぎた父がまさかそんなくだらぬことで殴られるとは思いもしなかった。
父、お涙頂戴。覗きを裁かれる
テーマ:お父さんシリーズ
父は、非日常が大好きである。
もめ事が大好きである…とも思う。
妹と私が
「あー。疲れた。人生に疲れた」
と、実家に居候した時である。
母は「好きにしなさい」と言い放ち、
父は「困ったもんよのぉ~!」と…
案の上、大喜びした。
私と妹は二人で、父の部屋の隣の部屋に居候した。
私たちは、
「この先、私たちって幸せになると思う?」
などと、真剣に話していた。
と、足音がする。
「あ、お父さんがきた」
その通り。
次の瞬間、父がドアを開け…何をするでもなく、じーーーーっと私たちを見つめる。
そして、去って行った。
何がしたかったのだろう…と妹と二人で首を傾げた。
それから毎日、数時間ごとに父が現れた。
しかし、やはり、じーーーーっと見つめて、去って行く。
日にちが経つに連れて私たち姉妹は、悩んでいるばかりでもなくなった。
バカ話を繰り返したり、部屋で酒盛りをしたりして、キャッキャと騒いでいた。
そんな中、やはり父は数時間ごとに規則正しく現れる。
それは昼夜に限らずで、毎朝5時に父はやってきて、眠っている私たちをじーーーーっと見つめ、去って行くのだ。
とにかく、私たち姉妹が部屋にいると、用事もなくただやってきてじーーーーっと見つめて去って行くのである。
さすがに、私たち姉妹は、
「まさか…ボケたんじゃ…」
と、考えた。
「着替えている時に部屋に来られても困る」
「そのうちお風呂も覗かれるんじゃないか」
と、心配し、さっそく母に言いつけた。
「お父さんが覗く」と…。
シンプルに、わかりやすく、率直に伝えた。
母は父の行動にあきれ、問い詰めた。
と、父がポツリと言葉をこぼした。
「わしは、娘二人が仲良く話をしている姿がうれしくて…」
私と妹は年の離れた姉妹である。
進学のため、私は妹が6才のとき実家を出た。
その後、妹と実家で暮らしたことはない。
お正月やお盆に会うことはあっても、何もない日々の中で長い間一緒に暮らすことはなかった。
その間に、父も癌になり入退院を繰り返した時期があったため、私たち姉妹が一緒に暮らしているところをもう一生見ることはないだろうと思っていたというのだ。
それで、年頃をとっくに過ぎた私たち姉妹が、二人そろって楽しそうに話をしている姿を見て、父は「生きていてよかった、幸せな瞬間」と、かみしめていたと言う。
私たちは、言いつけたことを少し後悔した。
父の行動にいじらしさを感じかけた次の瞬間…
母が一喝した。
「トボけたこと言わんのっ!!! 覗きは覗きっ!!! 」
その日から、
トットコ、トットコ…と聞こえてはきたが、足音は部屋の手前で必ず消えた。
父が私たちの部屋のドアを開けることはなかった。
お涙ちょうだいだったはずの父の話も、母には問答無用…トボけた話としてたんたんと処理されたのだった。
父、暴走。演歌歌手になる
テーマ:お父さんシリーズ
思いついたら即実行。
父に「ためらい」という言葉はない。
ある日、「お父さんは歌手になろうかなぁ」と言い出した。
なろうかなぁ=なる…である。
母は、「どうぞ」と知らんぷり。
子どもたちも知らんぷり。
言い出したときにはすでに始まっているに違いないのだ。
止めても無駄である。
ある時など、フラッと立ち寄った電気屋で店員にお勧めされるがまま冷蔵庫を買ったらしく、母に言えず、黙っていた。電気屋が配送に来て玄関チャイムを押した瞬間に白状した。「あ、冷蔵庫、買ってしまった」と。
うちには何故か大きな冷蔵庫が二台並んで置かれた。
そこから水面下でおこなれていた父の行いは急浮上する。
あっという間にレコーディングに東京へ行き、とあるレコード会社から出来上がったカセットテープやCDが送られてきた。
名のある作曲家の作品であったため、やはり早くから準備されていたことが見て取れた。
陽気な父に、その歌を何度も聴かされて感想を求められたが、賞賛も酷評もできず、
「まぁ、いいんじゃないかなぁ」とのらりくらりと私はマヌケな答えを繰り返した。
父は愛車を宣伝カーに改造した。ド派手な色に塗り直し、車上に大きなスピーカーを2つ付けて大音量で街をひた走るというのだ。
その車に乗るのは死ぬほど恥ずかしかったが、遅刻したときにその車で学校に送っていってもらうと、先生は絶対に怒らなかった。
この親子に何を言っても無駄だと思ったのだろう。
そして、ある日、父は私にカセットやCDを差し出し、「これを売ってきてほしい」と言い出した。
「冗談じゃないっ!」
と、つっぱねると、
「サイン色紙も付けてやる」といい、私へのバックマージンを提示してきた。
商談成立。
「売ってきてあげる!」と私は学校の先生や友だちの親に売りつけた。
田舎ならでは…売れた。売れた。
マッチ売りの少女よりも売れた。
調子に乗ってブロマイドまで売りつけた。
小遣い稼ぎにはちょうどよかった。
その後、加速した父は二枚目、三枚目とリリースし、自宅や近辺でカラオケ用映像の撮影まで行った。(…が数年後、見事に失速する。)
刑務所の慰問歌手として訪ね歩くようにもなった。「網走へ行ってくる」と言ったときには、
「もう帰ってこないでいい」と母は呟いていた。
身内の結婚式では必ず父の座○市ショーが行われ、CDメドレーが流される。
メインを食ってしまう勢いで、全力で行われるのだ。
新婦よりも立派な照明とスモーク。
切られ役はいるわ、町娘のヅラを被ったおじさん(参照:松の実と愛人さんに登場)が「市っつぁ~ん」と赤フンの父の足にすがりつくわで、旅芸人一座のごとく繰り広げられる。
人生最良の日に、眉間にシワを寄せる高砂席の新郎新婦を何度見たことだろう。
今でもたまにカラオケで目にする。
片棒を担いだ情けない青春の日々が蘇る。
ことの発端はなんだろうと考えた。
父は若かりし頃、あの石○プロに役者になりたいと熱い想いを綴った手紙と写真とカセットテープを送っていた。
丁寧な返事が来たらしい。
「大変に素晴らしい才能をお持ちだと思います。ぜひ その才能を他で活かして頑張ってください」と。
見事に他で…活かしている。
父、人助け。松の実と愛人さん
テーマ:お父さんシリーズ
小学生の頃の話。
よくお客さんの来る家だった。
田舎のせいもあって、いつも応接間にはお客さんがいて、知らない人たちが食卓にいることもしょっ中だった。
今もそれは変わりなく、知らない人が知らないうちに一緒に座って紅白歌合戦を観ていたりする。実家に帰ってだらしなく寝そべってテレビなど観てお尻を掻いたりしていると、近所のおじさんが後ろにいて、ギョッとする。
ろくなもんじゃない。
ある日、父の小さな会社で働いている男の人がやってきた。
その人の裸踊りを見たことがあるくらい親しい人だった。
いつもは一人でくるのだが、その日は女の人が一緒だった。
私はお客さんにお茶を出す役目だった。
いつものように挨拶をしてお茶を出すと、女の人は「ありがとう」と下を向いた。
母のもとに戻った私は、
「奥さん、わりと年離れてるね?」
と言った。
母は、
「奥さんじゃなくて、愛人」
と、するりと答えた。
あ
あ
あ
あ・い・じ・ん
瞬時に私の頭の中は祭りと化す。
家に愛人。
こんなスリリングなことがあるなんて。
もう一度見たい。
もう一度何とかして応接間に潜入せねばっ。
小学生の私にとって、愛人とは、もう、あれやこれやを乗り越えてきた人である。
計り知れないその人はもう、べつの生き物「愛人さん」なのである。
ワクワクが止まらない。
そんな私に、母は松の実の入った皿を渡した。
「はい、これ、応接間に持って行って」
私の家はなぜかよく松の実を食べていた。
そして、お客さんに必ずといっていいほど、松の実を出していたのだ。
私は松の実を持って行くことによって愛人さんにニ度目の再会を果たした。
尋ねて来た理由は、奥さんにバレたようで、どうしよう、一緒になりたい。間に入ってほしいという、よくある話だった。
子供の私が聞いてもたいして面白い話ではなかった。
しかも、父に相談することがそもそも無駄だろうと子供ながらに感じていた。
何しろ父ほどいい加減な男もそうそういない。
その辺のインチキ占い師に相談したほうがまだマシだったろう。
数日後、その男の人は会社のお金を持ち逃げして行方をくらました。
父は表沙汰にしなかった。
「うちが食べていけたらいい」とそういった。
しかし、その男の人は出戻ってきて、数年の内に2度、3度と会社のお金を持ち逃げしていったのだ。
それでも、父は1度も警察沙汰にしなかった。
出戻るほうも出戻るほうだが、受け入れるほうも受け入れるほうだ。
そうなると、どっちがバカなのかわからない。
最後は、根性比べのようだった。
その後、男の人と愛人さんがどうなったのかは知らない。
今思うのは、あの男の人にどんな魅力があったのだろうということである。
あの愛人さんは、小学生の私が出した松の実をどんな想いで口にしたのだろう。
松の実を見るたびに、私はあの男の人と愛人さんを思い出す。
その後も何度か、私は、父の友人の男の人たちの愛人さんや愛人さん上がりの女性たちがやってきた。
その度に、私は松の実を運ぶのだった。