月瀬りこ (脚本家 • 小説家) 第30回フジテレビヤングシナリオ大賞佳作受賞 「笑顔のカタチ」/ 「New Film Makers Los Angeles」🇺🇸『フローレンスは眠る』2018年度年間最優秀長編作品賞受賞(共同脚本)/ 電子書籍小説 「コロモガエ」などAmazonほかで配信中 / 舞台脚本 / ホラーDVD/オムニバス映画ほか/ WebCMプロット/ 企業PJ / PVシナリオ/コピー/ 取材ライターほか

月瀬文庫

わが家での日々。お父さんシリーズエッセイ

父、暴走。庭に温泉を掘る

言い出したら絶対にあとに引かない父。
ある日、突然言い出した。

「庭に温泉を掘る」

庭に温泉…σ( ̄^ ̄)?

耳に入ってきた言葉がまったく理解不能。

何が庭に温泉だ。

いくら県庁所在地が有名な温泉どころといえど、掘ったからってすぐに温泉なんかでるもんか、いや、庭に掘るってそれなに?という感じだった。

しかし、言い出したら聞かない父。

温泉を掘り当てた後の莫大な構想をこれでもかと饒舌に語る。
24時間、湯水は使い放題。電気代もただ。お客を呼んでひと稼ぎ。観光地にしてしまおう!

母は案の定、知らんぷり。

…掘り出した。

庭に何やら掘削機のようなものをもった業者の方が数人きて、ここだとかなんとか…と目星をつけ、グオ~ンと掘り起こす。

無謀としか言いようがない。

 

父は同時にその温泉を掘り当てたときに温泉のデザインに使うであろう石をあつめはじめた。そう、石造りの露天風呂が父のイメージだったらしい。

温泉掘りは数日続いた。少しづつ少しづつ。
掘り進むごとに、わが家の貯蓄は音を立てて崩れていく。

数日後、掘り起こしていく土の質が少しづつ変わった。
温かい温泉が、吹き出すかもしれないとざわめき立つ…が、その作業を見守る母の冷たい目は変わらぬままだった。

しかし、数日後、少し湿った土になったときにはさすがに歓声がわいた。
その時ばかりは、一瞬、母の目が笑ったように見えたが、それはやがて虚しい粘土質に変わっていった。
掘っても掘っても粘土質から変化が訪れない。それどころか、大きな岩盤のようなものにぶち当たってしまった。

掘削作業は、終了を迎えた。

結局 温泉が湧いて染み出すまでには至らなかったのだ。

しかし、この中途半端なまま「庭に温泉」の夢が終わらすわけにはいかない。
もう、掘ってしまったのだ。
意味のない、巨大な穴を…。

計画は急遽変更された。
「庭に露天風呂」という目的に。
巨大な穴を掘ったところはコンクリートで綺麗に補正され、石を一個一個並べて、意味のない大きな穴は石造りの露天風呂へと変身していった。

地道な作業をひたすら続ける父を動かす原動力はなんだろう。

「勝手にすればいい」と言っている母の愛でないことだけはハッキリしている。

もはや、意地…の穴埋め…というところであろう。

父のひとりの意地と努力で石造りの露天風呂が完成した。
その露天風呂の元に紅葉の木を植え、手作りの木の看板を作った。
墨で「市の湯」(座頭市の市の湯である)と書かれていた。

そのお風呂はその後、友人が来たときはもちろん、飼っていた日本猿と一緒に入浴したりするために多いに利用された。
月夜に紅葉が映える美しい露天風呂であったことは確かだった。

しかし、そこには大きな欠点もあった。
その露天風呂の周りは洗濯を干す物干しがある場所なのだ。おまけに囲いがないため、家の中から丸見えなのである。

いくら石造りの露天風呂とはいえ、周りが洗濯物でおまけに覗き放題。

確かに田舎であるゆえ、夜空はどこまでも星空に近く美しく、空は澄み渡っている。
しかし、横を見れば、自分のパンツと赤いふんどしが風に揺れているなんとも切ない状況…。

露天風呂から 裸で股間を押さえ小走りに家の中へ駆け込む情けない父の姿を何度見たことか…。


そこまでして入りたい気持ちは日に日に苦痛となり、ブームは「たまに」訪れるという形で落ち着いた。

今も中庭に大きく存在する我が家の露天風呂「市の湯」

開店休業の日々が続いている。